カテゴリ:蓋棺録( 9 )

BERTH DALE

e0125069_459505.jpgバート・デイルとして活躍したスウェーデン人ドラム奏者、ニルス・バッティル・ダランダーが、2011年6月6日(月) 米国ネバダ州Mesquiteの自宅で亡くなりました。享年83歳



ここ数年間、闘病生活を続けていましたが、自宅で愛犬エルビス、妻のビルギッタに囲まれて、小さな音量でかけられたジャズをBGMに、静かに眠る様に亡くなったそうです。
1928年5月13日、イェーテボリの近郊Mölndal (ミョルンダール市)出身。
13歳の時にドラマーとしてデビュー。1948年にNew Yorkを訪問し、その6年後、トランペット奏者のロルフ・エリクソン、クラリネット奏者のオーケ・スタン・ハッセルゴードに次いで3人目のスウェーデン人ジャズ奏者として1954年に米国に移住。

e0125069_459027.jpgバート・デイル(Berth Dale)というアーティスト名で活躍。テディー・ウィルソン、アール・ハインツ、チェット・ベーカ−、ソニー・ロリンズ、レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス等、多くのトップ・ミュージシャンと共演し親しまれたドラマーでした。
確か以前は、コロラドとイェーテボリに自宅があり、毎年、夏になるとスウェーデンに戻りツアーを行っていました。数年前に大腸癌が見つかり、最近はあまり彼の話を聞きませんでしたので、先日の彼の自宅の近所を通った際、彼の事を考えていた矢先の悲報!

僕自身は何度も彼と演奏したりツアーをしたりしました。彼をドラムに迎えて行ったエリック・ノルストゥルムやヤン・アラン、ソニア・ヘーデンブラット達との演奏は懐かしい限りです。

冗談がとても上手く、演奏の合間に突然、面白い話を披露するので、お客さんも共演者も皆を大笑わせする達人でした。彼のエンターテイナーとしての魅力は眞にプロのコメディアン級でした。それと同時に、50年代から米国で一流の名選手達と活躍しただけ有って、確かに素晴らしいスウィング感を持ったドラマーでした。

ニルス・バッティル・ダランダーのご冥福を心からお祈りしている次第です。

合掌

スウェーデンの森
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by yasuhito_mori | 2011-06-11 05:16 | 蓋棺録

荒井 ABO 誠さん

JIROKICHIのオーナーで、ディジュリドゥプレイヤーの荒井ABO誠さんが、4月7日(木)午前8時3分、心不全の為、永眠されました。(享年66歳)

http://www.jirokichi.net/

昨年の春、北海道の札幌市の近くにある当別市で、初めてスカンジナビアン・コネクションのコンサートを行うことができました。その時、東京・高円寺の老舗ジャズクラブ『Jirokichi』のオーナーでディジュリドゥー奏者でもある荒井 ABO 誠さんと奥様の森田靖子さんに大変にお世話になりました。

4月5日、北海道の札幌のジャズクラブ「くう」に出演している時にABOさんご夫妻の事を想いました。今回の帰国中にご挨拶の電話を入れたいと思った矢先にこの悲報に出くわしました!
本当に残念です。心からABOさんのご冥福をお祈りしたいと思います。

三河安城の森
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by yasuhito_mori | 2011-04-10 08:35 | 蓋棺録

古澤良治郎さん

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既に多くの方が、この悲しい訃報をご存知だと思いますが、・・・・ 昨日、ギター奏者の廣木光一さんから、古澤良治郎さんが亡くなられたという悲しい訃報を頂きました。
1月12日昼頃、虚血性心不全のためとのこと。享年65歳とのこと。

昨年だったか、日本に居る時に何かのテレビ番組で古澤さんを観て、「良い感じで歳を増やされているナァ!」・・・・と羨ましく思ったことがありましたが、65歳であちらの世界に移られるとは思ってもみませんでした!

僕が日本に居た70年代、70年代の初めから中頃まで、時々、一緒に演奏をさせて頂いたと云うだけの間柄でしたが、同じ時代をジャズという同じカテゴリーの世界に身を置き、活動を続けてきたという意味では「仲間」であり「戦友」です。とても「優しい人」という印象が強く残っています。

謹んで、古澤さんのご冥福をお祈り致します。
合掌

スウェーデンの森

廣木さんから頂いた、葬儀日程を下記して置きます。
<葬儀日程>
故 古澤良治郎 殿
行年 65歳
通夜:1月15日 1800~1900
告別式:1月16日 1100~1200
葬儀式場(通夜・告別式):梅窓院
 東京都港区南青山2-26-38
 03-3404-8447
 http://www.baisouin.or.jp/
喪主:佐生 健 殿 (続柄:長男)
斎場:代々幡斎場 03-3466-1006
 東京都渋谷区西原2-42-1
 http://www.sougi-kaneko.com/yoyohata/index.html
葬儀社:金子総本店(お問い合わせ・生花)
 03-3469-2894 Tel 03-3468-2944 Fax
 http://www.sougi-kaneko.com/
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by yasuhito_mori | 2011-01-15 19:45 | 蓋棺録

コントラバス奏者・奥田一夫さん

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今、毎日新聞のニュースサイトで、『事故死:交響楽団のコントラバス奏者、マウンテンバイクで』というニュースが載っていたので、そのサイトを見てみて驚き!
そのコントラバス奏者というのは、東京交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団を経て89年から大阪センチュリー交響楽団の首席コントラバス奏者を勤め、いろいろな活動を通して、コントラバスの素晴らしさを広めていた関西在住の素晴らしいコントラバス奏者・奥田一夫先生だったのです!
そのニュースによると、マウンテンバイクで登山道を下る際に段差でバランスを崩して転落し、首の骨を折ったりして亡くなったそうです。
何ということでしょう!!!!!

http://mainichi.jp/select/today/news/20100913k0000m040032000c.html?inb=fa

2003年夏、米国ヴァージニア州リッチモンドのリッチモンド大学で、国際コントラバス協会のコンベンションが開かれました。一週間近くにわたり、朝から晩までコントラバスの話とかコンサートが、大学の敷地内で開かれます。

いろいろなプログラムが有ったのですが、その中に『日本人ベース奏者』という特集がありました。

大阪で活躍する奥田一夫先生、インプロビゼーションの国際的なコントラバス奏者・齊藤徹さん、そしてどういう訳か・・・このスウェーデンの森がゲストに選ばれました。井野信義さんも来られる予定だったのですが、急に何かの事情で来られなくなったのです。

井野さん、齊藤さん、そして小生は、3人とも故高柳昌行さんと演奏していたので、リッチモンドで3人で会う事を楽しみにしていたのです。

奥田さんは、何本も素晴らしいコントラバスをお持ちの様でしたが、リッチモンドにはその中の最高の楽器を・・・たぶん、イタリアンのオールド・・・を持参されたのです。しかし、楽器が届いたら根柱が表板だか裏板だかを突き抜けていたそうで、急遽、楽器を借りてコンサートをする事になった様子。
後で誰かから聞いたのですが、修理費に200万円掛かったとか・・・!

奥様や数人のお弟子さんが一緒に来て居たのですが、僕達の隣の部屋だった為、その借り物の楽器になれる為に随分と練習されていました。

モーツアルト時代のウィーンのチューニングという講義に行ってみたら、奥田先生が、盛んにいろいろな質問をされていたことも覚えて居ます。

堺でのスカンジナビアン・コネクションのコンサートに、彼と奥様が聴きに来て下さったこともありました。

個人的なお付き合いは無かったのですが、物静かなタイプの人で、とても良い感じの人だなという印象が強く残っています。年齢も彼のホームページを観て判ったのですが、僕と同年齢でした。
素晴らしい本物のコントラバス奏者が、先に逝ってしまいました!

奥田一夫先生のホームページ、是非、観て下さい!

http://www003.upp.so-net.ne.jp/ultrabassissimo/

心からご冥福をお祈りしています!

スウェーデンの森 泰人
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by yasuhito_mori | 2010-09-13 05:39 | 蓋棺録

Herman Leonard

今日、写真家の友人で、数々のジャズ演奏家の写真を撮っているRolf Ohlson氏から、数多くの有名なジャズ写真を撮った米国の写真家、Herman Leonard氏が数日前に他界された、という事を知らされました。

下記のサイトは、追悼写真アルバムです。素晴らしいので、お時間のある時に皆さんも観て頂きたいと思います。

http://www.bbc.co.uk/news/world-11000692

Rolf Ohlson氏は、商業写真家として活躍されていた人で、確か数年前に年金生活をノンビリ楽しむと云っていたのですが、先日の朝、イェーテボリの旧オペラ座の前で、もう一人の有名な商業写真家とカメラスタンドを担いで急ぎ足で歩いている彼を目にしました。(笑)

彼の撮った写真の特集が、イェーテボリ交響楽団の地元、イェーテボリ・コンサートハウスで行われたことがありました。
ウェイン・ショーターのコンサートを聴きに行った時だったか・・・ともかく、ホールの中央階段のど真ん中にOrkester Journalen誌の表紙に使用された事も有る小生の写真が、・・・しかも巨大な写真が掛かっていたのです。

その隣には、やはり巨大な写真‥と云っても僕の写真ほどでは無かったのですが、やはりイェーテボリのコントラバス奏者Lars Danielssonが、ベースの横で足をコントラバスに掛けて横になっている写真が掛かっていた事がありました。(笑)

あんなに巨大な自分自身の写真を観た事が無かったので、ブッ飛びました。赤面状態!
あんなに大きくしても鮮明に撮れているのは、やはりプロとアマの違いだなと感心した次第!

Orkester Journalen誌やロシアのジャズ誌の表紙になった写真とは・・・・・・・・これです!(笑)

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by yasuhito_mori | 2010-08-19 06:04 | 蓋棺録

2010年1月13日 Gösta Rundqvist逝く

e0125069_459171.jpg今朝、目が醒めてベッド脇のiPhoneを手に取り、いつもの様にメールをチェックしてみると、ストックホルムのコントラバス仲間であるハンス・バッケンロースからのメッセージがありました。
何か嫌な予感がしたので、彼からのメッセージをまず開いて見て驚き!
友人でピアニストのヨスタ・ルンドクヴィスト(Gösta Rundqvist)が、昨日(1月13日)、亡くなったとの事!
1945年生まれの彼は、今年の2月で65歳になる筈だったのです。

1990年代に入ってから、僕はこのヨスタのトリオで一緒に演奏する機会が増えた。何時だったのか調べてみないと判らないのだけど、1990年代の始めに、ヨスタが誰かと一緒にファルケンベリに来た事がありました。
その時のベースが、急病かなんかで僕が飛び入りで参加したのが切っ掛けで、それ以降、彼のトリオで一緒にやる事が増えました。
当時の彼のトリオは、ステューレ・オーケルベリ(Sture Åkerberg)がベースで、ぺートゥル・イースランド・オステルルンドがドラムスでした。
ステューレは、彼の有名な歌手、モニカ・セットゥルンドと結婚していた人で、なかなか素晴らしいコントラバス奏者でした。ステューレは、若い頃、かなり飲む人で、特にアル中だったモニカと一緒の頃は、二人して大酒飲みだったらしく、丁度1990年代の始めになって、ステューレは、かなり内蔵が悪くなっていたらしいのです。
結局、ステューレが入退院を繰り返し、僕がステューレの代理としていろいろとストックホルム方面でも演奏する様になりました。

朝から昼過ぎまで、当時、ウデバラ市に在ったボーヒュスレーン・ビッグバンドの練習場でリハーサルがあり、それからストックホルムに駆け付けて本番ギリギリに間に合うと云った、超忙しい感じでした。(ストックホルムとイェーテボリは、約500キロですから、東京と大阪の様な感じです!)

しかし、そのおかげでスウェーデン・ジャズ界の大御所・プッテ・ヴィックマン、スヴァンテ・テューレソン、ボッセ・ブローベリをはじめ、トゥーツ・シールマンス、ケン・ペプロフスキー等と、数多くの仕事をする事になりました。

彼にはドラマーのフレドリック・ルンドクヴィストという息子がいて、ストックホルムで活躍しています。

ヨスタ・ルンドクヴィストは、ストックホルム音大はじめ、ジェーブレ高等音楽学校でもインプロビゼーションを教えたりしていましたが、ここ数年は、病気になり、入退院を繰り返していた様子です。彼のレッスンを受けた人達は多く、皆、彼の事を慕っていました。
歌手のViktoria Torstoyを世に送る事になった処女作は、ヨスタ・ルンドクヴィストのトリオがバックを勤めています。

ヨスタの自由をこの上なく愛し、暖かい人柄は、実に多くの人から愛されていた存在でした。
本当に素晴らしい音楽家が、また一人、向こう側に渡ってしまいました。一回、日本にスカンジナビアン・コネクションで連れて行きたかった人だったのに間に合いませんでした!
心から彼のご冥福を祈る次第です。
合掌!

スウェーデンの森

参考サイト:

http://www.touchemusic.se/rundqvist.html

森がヨスタと共演しているCD作品:

1997Ulf WakeniusDig In!(Sittel SITCD 9230)
1994Gösta RundqvistUntil We Have Faces(Sittel SITCD 9212)
1993Putte WickmanTime After Time(BMG 7413 17297 2)

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by yasuhito_mori | 2010-01-15 05:13 | 蓋棺録

お葬式

e0125069_6142044.jpg今年の1月26日に妻の父方のアンナお叔母さんが亡くなった。妻の父親が1911年生まれで、彼女が1917年生まれ。
誕生日は3月22日で、妻のそれと同じ日。今年、2009年の3月22日には92歳になる筈だったが、数年前から大腸癌を患い、その上、心臓のバイパス手術も行い、腰骨も骨折したりして車椅子生活を余儀なくされ、ここ数年は更に癌が転移、進行した為、寝たっきりの生活をされていた。
今回のお葬式は、亡くなった日から一ヶ月後の2月27日に、故郷のSvenljungaという町の教会で執り行われた。 e0125069_6115953.jpg< 今回のお葬式は、土葬という事もあり、教会の中で最期のお別れをするのではなく、数人で棺を教会の外に運び出し、教会の玄関の外に用意されていた台車に移し、その台車を押して、彼女のお墓となる所まで移動し、お墓の中にベルトを使って降ろして行く。最期に、お墓の中や周囲に参加者が用意してきた花束を捧げるという手順で進行した。


僕は棺を運んだのも初めてだったし、教会の玄関先から墓地の墓穴まで棺を押していくのも初めて!ベルトを使って棺を数メートル下に降ろして行くのも初めての体験だった。

アンナさん叔母さんは小柄な方だったから、棺も軽かったけど、関取みたいな人の棺は、はたして6人で運べるのかと、妙な疑問を感じてしまった。(笑)

イェーテボリから車で約1時間の地点だが、先月、ジェスパー・オーデルベリのコンサートでも来た町である。イェーテボリでは雨が降っていたが、ここではお葬式が始まった時から急激に晴れ間が出て来て、棺を墓穴に納めた時は晴天だった。

棺を納めた後は、教会の集会所でランチ。例の海老のサンドウィッチとケーキ、コーヒーというメニューだった。
妻の父方の親戚が一同に集まった感じ。

傍から彼女の人生を見ると、小児麻痺の後遺症でハンディーキャップを負った長男の介護で苦労した人生だったが、他の娘さんや息子さんは小学校の先生や、市の重責を担う要職につかれ、今ではお孫さん達もそれぞれ独立し、立派な人生を送っている。

e0125069_6165886.jpg約10年前には旦那さんに先立たれたが、いつも明るく笑顔を絶やさない人だった!親戚の誕生日には必ず手書きのカードを送ってくれたし、アマチュアの詩人としても有名だった。

黒く染めた髪の毛を坊主頭にし、あちこちにピアスを入れている若い女の子達が最期のお別れに来ていたが、詩の会を通してアンナと知り合い、親しく付き合っていた若い詩人の女の子達だそうだった。

彼女の優しい瞳と笑顔は、皆の心の中に生き続けるだろう!
合掌!  
スウェーデンの森
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by yasuhito_mori | 2009-03-02 06:26 | 蓋棺録

アーネ・ドムネリウス享年83歳

スウェーデン・ジャズ界の重鎮で、クラリネット奏者・アルトサックス奏者のアーネ・ドムネリウス氏が、本日9月2日に亡くなりました。
享年83歳でした。
プッテ・ヴィックマンと並ぶ、スウェーデン・ジャズ界の重鎮が、また一人、亡くなりました。
謹んでご冥福をお祈り致します。
スウェーデンの森
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by yasuhito_mori | 2008-09-03 03:21 | 蓋棺録

EST エースビョン・スヴェンソン事故死

ESTとして欧州、米国をはじめ日本でも人気の有ったスウェーデンのピアニスト・エースビョン・スヴェンソンが、ストックホルム郊外の島でアクアダイビング中、事故で亡くなりました。

エースビョン・スヴェンソンは、事故は土曜日の午後、ストックホルム郊外の島Ingaröで、ダイビング仲間数人とアクアダイビングをしていたところ、ダイビング・リーダーが突然、一人足りない事に気が付いて捜索。海底でエースビョンを見つけ、急遽、救急ヘリコプターでカロリンスカ大学病院へ運ばれたましたが、死亡が確認されたそうです。
享年44歳。

僕は随分昔に、エースビョン・スヴェンソンと演奏した事がありましたが、とても感じの良い人でした。エースビョン・スヴェンソン・トリオ(EST)として世界的な人気トリオを得ても、ESTとして名前を定着させ、ダウンビートの表紙を飾った時も、Orkester Journalen誌の表紙を飾った時も、普通だったらピアノトリオのピアニストが、自分のみの宣伝に努める訳ですが、常にトリオ全員でESTとしてアピールしていました。
メンバーとの関係を大切にしていた様な人だと思います。

あまりにも突然の死、しかも彼は人生の絶好調の44歳という若さで先立った訳ですが、奥さんや二人のお子さんの悲しみを思うと、言葉がありません。

1970年代に交通事故で亡くなったスウェーデンの天才的ピアニスト・ヤン・ヨハンソンや、60年代初頭に亡くなったスコット・ラファロの突然の死を思い出してしまいます。

エースビョンのご冥福を心から祈る次第です。

合掌
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by yasuhito_mori | 2008-06-16 10:00 | 蓋棺録